コラムCOLUMN

2019/05/01

2019.05 レトロ京都…『帷子ノ辻駅』には京紫の嵐電が良く似合う

嵐電 『嵐電』―ランデンと呼ぶ。京都市内と嵐山をつなぐ路面電車で四条大宮と北野白梅町を起点とし、途中合流して嵯峨野から嵐山に向かう。
 そのYの字の合流点が帷子ノ辻(カタビラノツジ)駅である。大昔、裏地の無い下着のことを帷子と称したそうだが、『帷子ヶ辻』という地名を駅名に採用するに際し、敢えて『帷子ノ辻』の『ヶ』を『ノ』に変えたところに、鉄道開設にかけた当時の嵐電社員の想いが伝わってくる。単なる地名としての帷子が、帷子にまつわるコトやモノへとイメージが膨らんでくる。

 1910年創業以来120年、洛西と京都市内を結ぶ通勤通学の足であると同時に、多くの観光客が利用してきた。北野白梅町線は、龍安寺、妙心寺、仁和寺等有名寺院の名前がそのまま駅名になっていて、極めて分かりやすい。お寺めぐりの道順が電車の路線になったかのようだ。
 対して、嵐山本線の駅名は、蚕ノ社、車折神社そして帷子ノ辻とちょっと工夫されている。蚕ノ社は、本来は天照大御神を祀る木嶋神社が主神だが、境内に蚕養神社があることから『蚕の社』。『車折神社』は、その境内の末社に天岩戸の前で踊った天宇受売命(あめのうずめのみこと)を祀ったことから、本家をしのぐ人気の芸能の神様。
 しかし、『帷子』は、絶世の美女だった壇林皇后(嵯峨天皇の妃)が、言い寄る男子を諦めさせるためか、深い信仰心もあって自らの死体を野ざらしにするよう依頼したが、その際に纏っていた死装束が帷子ヶ辻(地名)の由来である。なので、地名としては、ただ薄衣の帷子でしかなかったのだが、嵐電それが『嵐電 帷子ノ辻駅』としてよみがえった。

 薄暗くなりかけた初夏の夕方、1973 (S48)年竣工の古びた駅舎に、濃い紫色の小さな電車がゴトンゴトンと入ってくる。『帷子ノ辻』とアナウンスされると、そこはたちまち昭和の駅となる。駅員も乗降客も観光客さえも一瞬停止し、昭和の顔となる。学生帽の学生やセーラー服の女子高生が、何事も無かったように乗り降りする。数十年変わらぬ洛西のノスタルジックな夕方である。(M)

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