コラム

2015.10 姉さん六角 京の道…いわく因縁『膏薬辻子から天使突抜、不明門通へ』

膏薬辻子 いわく因縁つきの難読・難解通りである。市内中心部の四条通から南へ、京都駅まで断続的につながっているのが面白い。

 四条通の新町通と西洞院通りの間の南向きの細い道が『膏薬辻子(コウヤクヅシ)』、綾小路通に出て西に100mばかり行って西洞院通りを仏光寺まで下がり、さらに50m西の通りが『天使突抜通(テンシツキヌケトオリ)』、この通りを南下して松原通まで出て、東に向い烏丸通を越えた最初の通りが『不明門通(アケズトオリ)』である。

 京都では、通り抜けできる路地を辻子(図子とも)というが、膏薬辻子というこの路地は、曲り角はあるが確かに四条通から綾小路まで通じている。問題は何故膏薬と言う名なのか?なんと平安時代に空也上人が修業場に平将門を供養したからだという。将門の供養寺院は神田明神として現存しているが、空也上人の道場は無くなった。しかし通り名として名前は残った。空也供養→クウヤクヨウ→クウヤク→コウヤク=膏薬だそうだ。町家の並びに着物レンタルショップや木版画のお店もあったりして、着物産業盛んな頃の名残はあるが、今は街の中心部とも思えない落着いた静かな石畳みの通り。

天使突抜 天使突抜通りの地図上の名称は東中筋通である。通りの両側が天使突抜町のままということもあってか、恐ろしい名称ではあるが今も通称名として普通に使われている。弘法大師が開基した薬の神様「少彦名命」を祀る『五条天神社』の広大な境内を貫通して、秀吉が道路を作ったことから、『畏れ多くも天神(テンシン)社→天使(テンシ)を突き抜けた』と揶揄して使われ出した。以来、松原通西洞院の一角にコンパクトに納まっている天神社だが、今も薬業関連の方や厄除け祈願の参拝者が絶えない。この通り一帯には、菅原道真生誕の地を祀る『菅大臣神社』、浄土真宗宗祖親鸞の終焉の地には『光圓寺』が、さらに曹洞宗の開祖道元の終焉の地の石標があって、その脇の稲荷路地の奥には小さな『稲荷神社』と…。秀吉の強権的な都市改造にめげずに、日々の無事を祈る町民のしたたかな暮し振りが垣間見える。

不明門通 そして不明門通、開かずの門の意である。南から来た通りの正面にある『因幡薬師堂 (平等寺)』の門がいつも閉ざされていたことから、「開かずの門通」。門が略されて「アケズ通」。アカズではなくアケズと言うところに意志が感じられるが、或は京都訛なのか、また[不明門]と書くのは単なる当て字なのか、今となっては不明。
 但し、当然のことであるが通用門は常時開いていて、参拝者はもちろん町衆の会合などにも町堂として使われていた。とすれば、一見イケズなアケズの門は、武装集団に対しての自衛の意志標示だったのだろう!
 武装集団の脅威が無くなったからなのか、焼失してしまったのか、薬師堂の門は今は無く、常時開き放し。

 そして、不明門通は東本願寺門前で張出した烏丸通と一旦合流するがすぐに分岐して塩小路通まで続き、今は京都駅から世界へ大きく開かれている。(M)

【2015年10月01日】

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