コラムcolumn
2025年04月15日
「日本での簿記導入」

日本では、明治6年(1873年)に福沢諭吉がアメリカから持ち帰った簿記の本(『ブックキーピング』ブライアント=スタットラント著1871年)を翻訳して「帳合之法(ちょうあいのほう)」を出版したのが我が国最初の簿記の本であるといわれています。
福沢諭吉は初めての簿記書の翻訳に苦労したようで、「全集」に余が最も面倒にして最も筆を労したものは「帳合之法」なりと述べています。
①はじめての簿記用語
Book-Keepingを「帳合」と訳しました。のちに簿記という訳になりましたが誰が訳したのでしょうか?
私も調べましたが分かりませんでした。
②数字の書き方、十進法の発想など
もともと数字を縦書きに書くこと自体が分かりにくいですよね。このほか、簿記書形式の草案なども苦労された
ようです。
帳合之法は単なる翻訳書ではなく福沢諭吉の願いが込められていることを紹介します。
明治政府は、明治9年(1876年)、大蔵省に「簿記法取調掛」を設置し、明治11年(1878年)に「太政官第42号達」で複式簿記を採用しました。
このように複式簿記が採用された背景には、明治政府の草創期は各役所や県が現金をばらばらに管理していたため、その集計に相当の時間がかかっていたことがあります。その状況下で、厳格な現金管理を担保するために行われていたのが複式簿記でした。
政府は地方の予算執行の前面にわたり一貫して複式簿記を行なっていましたが、明治15年(1882年)に日本銀行が創立され、中央銀行による国庫金の集中管理が可能となったので、複式簿記から現行の官庁会計に改めました。
もともと、発生主義の儲けの会計は必要ではなく、明治維新の後の混乱期に、現金の保管管理に複式簿記が採用されたのであれば、日本銀行で現金の集中管理が可能となったのですから、煩雑な複式簿記を嫌う保守的な役人も多くいたことが推測されますので、複式簿記が廃止されたのは自然の流れのように感じます。
複式簿記は素晴らしいシステムであり、簿記の歴史からも明らかなように多くの方に勉強してもらいたい気持ちはあります。私の勧めで職員や地方議員が簿記の検定試験に挑戦して、「合格しました」との嬉しい報告を受けたときは感無量な気持ちになります。
システム ディ顧問 宮澤 正泰(元習志野市会計管理者)