2020/02/03
2020.02 レトロ京都…地獄極楽分かれ道・甦る六道の辻 昭和レトロな松原通り
松並木がきれいな通りとして、それが名前の由来だった松原通りは、かつては清水寺への表参道だった。秀吉の都市改造で五条通りにとって代られてしまった後は、東山五条から上る清水坂と合流してからが参道になってしまった。そしてまた、『♪京の五条の橋の上、大の男の弁慶が…♪』の、弁慶と牛若丸の対決の橋でもあったが、新しく五条通りに五条大橋が架けられてからは、ひっそりと日陰の通りに甘んじてきた。
河原町通りから東に進んで松原橋(旧五条大橋)を渡ると、空気が変わる。東に進むにつれてだんだんと妖しく変わる。空気が重くなり沈み込んでいく。鳥辺山の墓地への送り場所、地獄極楽分かれ道の六道の辻辺りがもっとも重い。小野篁が通った冥土への通路『黄泉がえりの井戸』が今も残り、閻魔大王と篁の立像が不気味に睥睨する六道珍皇寺や、踊念仏の空也さんの六波羅蜜寺、空海さん建立の西福寺には『壇林皇后九相図(絶世の美女だった嵯峨天皇妃が、自らの死体が白骨化する諸相を描かせた絵図…2019.05帷子ノ辻参照)』。賑やかだった六波羅探題府も、平家が滅亡した後は公達や女御の嘆きの坩堝。六道の辻には冥界にまつわる史蹟が密度濃く、人の世の儚さと業の深さが幾重にも重なり、怨嗟と鎮魂が渦巻いている。京都御所が顔表、六角堂がお臍なら、六道の辻は花の都の尻の穴だった。
怖いもの見たさなのか?その松原通が昭和になって生き返った!さらに平成になって勢いが出てきた。死即生!街が甦る。六道の辻は、葬送の地変じて出産と子育ての聖地。空海さんお手製の子育て地蔵にはヤングママが参拝し、その向かいには、死後出産で母乳の出ない母幽霊が母乳代わりに我が子に与えたという『幽霊子育飴』の飴店が、今も滋味豊かな飴を製造している。子育て中のママさん、妊婦さんは勿論、最近は妊活中の女子も訪ねて来るとか。
昭和レトロな洋食屋さんやカフェに並んで、オシャレな町家フレンチもオープンし、女子が賑やかに食事する。女子が元気だと男子も元気で、子供も育つ。松原通りは葬送街道から元気な子育て通りへと、華麗に変わりつつある。(M)