コラムcolumn
2025年03月17日
「簿記の始まり」

簿記の始まり(諸説があります)は13世紀から15世紀に地中海貿易で発達した会計技術だといわれています。中世の貿易船は、1つの航海が終わるたびに収支を調べて財貨を分配したそうです。このときの会計技術は「ベニス式簿記法」といわれ、その基本原理は現在の複式簿記とほとんど変わらないといわれています。
では、ここで具体的にどのような事例なのか考えてみましょう。
冒険商人「マサヤ」(架空の人物)の儲け話
マサヤは中世のイタリア商人で、「遠く離れた中近東地域には珍しい特産品がたくさんあるらしい。その地域の特産品を仕入れてイタリアで売れば大儲けできる」と考えました。しかし、マサヤにはお金がない、でも『ズンマ』という数学の本を読み、次のような計画を立てました。
※『ズンマ』・・1494年ルカ・パチオリ(1445-1517)により刊行、その中の一編に「計算及び記録要覧」として複式簿記について記されました。簿記の知識を習得して、自らの事業に応用しようとする商人の参考文献となりました。
② 集めたお金で船を買い、船員を雇い入れる。
③ 中近東の特産品と交換するためのイタリアの特産品を購入する。
④ 船で中近東に行き、イタリアの特産品と中近東の特産品と交換する。
⑤ イタリアに戻ったら、中近東の特産品を売却する。
⑥ お金を出資してくれた人にお金とお礼(今でいえば配当金)を渡す。
⑦ 残ったお金がマサヤの儲けとなる。
この場合、どのような取引の過程で儲けが発生したかを、出資した人に説明するための書類を作成する必要が生じます。わかりやすい書類を作成し充分な説明ができなければ、出資した人に納得してもらえませんからね。これが簿記の始まりです。
中世の貿易船の場合は、1つの航海が終わると収支を調べ、財貨を分けて終わりましたが、今日の企業は永遠に継続するものと考えます。その場合にダラダラと帳簿を付け続けるわけにいきませんから、適当なところで区切ることになります。これを「会計期間」といいます。
イギリスが経営した東インド会社(1600~1874年)は、当時貴重品であった香辛料などを東南アジアから輸入し、航海ごとに資金を集めて利潤を分配したとのことです。なお、1665年に決算をした後、次の決算は20年後の1685年だったそうです。
フランスでは1660年代に大恐慌が起こって倒産が続発したときに、財産隠しのための偽装倒産が出現したので、ルイ14世が2年ごとの決算をするように定めました。これと同時に、フランス商事王令第11章第12条では「倒産時に会計帳簿を裁判所に提示できなかった者は死刑に処する」という厳しい法律を制定しました。その結果、倒産が減少し、経済も立ち直ったのでした。
死刑という厳罰ではないですが、現在の日本の法律においても、上場企業で粉飾会計が発覚した場合、「10年以下の懲役」若しくは「千万円以下の罰金」が科されます。(金融商品取引法第197条第1項)
システム ディ顧問 宮澤 正泰(元習志野市会計管理者)