2013/09/02
2013年9月 京のゲート-今は昔…別世界への『島原大門』
島原の乱のような騒ぎで六条三筋町から移転したから、今も島原と呼ばれるこの街は、足利吉春14代将軍のお墨付きで開設された日本最古の花街だった。
『花街』と『遊郭』とは違うそうだ。同じように『太夫』と『花魁』は、似て非なるものらしい。すでに遊郭も花魁も絶えて久しいが、京都では花街も太夫も健在。
遊郭とは異なり島原には高塀もかき掘りもない、大門はあったが女性も出入り自由、しかし男にとっても女にとってもそこは紛れもない別世界。
かつては、「天保3年大飢饉、家を売ろうか、嫁売ろうか、ワタシヤァー売られて来たわいな~♪」と、女性にとっては、苦界以外の何ものでもなかっただろう。
しかし、ここ島原では日頃から置屋で舞や三味線の技を磨き、お茶、花、謡いから和歌、俳諧まで身につけた芸妓さんが、揚屋の座敷に上がり客をもてなした。その最高位が『太夫』とよばれた。太夫との遊興は、男にとっては最高の贅沢…公家も侍も町人も惚うける夢の世界であったに違いない。
裏通りに今はひっそりと建つ『島原大門』をくぐれば、そこはやはり島原。ケバいネオンや風俗店は一つもない。石畳の通りを歩けば、町家に混じって現存する角屋や輪違屋から三味線や鼓の音が聞こえ、街角から太夫が姿を現すかのような白昼夢。(M)
(島原大門は京都本社より南西に車で15分、壬生川通リ花屋町西入ルにあります。なお角屋は現在財団法人化して「角屋もてなしの文化美術館」となっています。)